先輩打者3人との比較は、もちろん耳には入りました。でも、自分が先輩方になれるわけでもないし、自分から比べたことはないんです。もちろんすごい先輩方でしたが、4番という意味で意識したことはありませんでした。
長嶋監督は「4番1000日計画」なんて言ってくれましたが、実際に4番に定着するには、2000日以上かかってしまいましたね。
〈「4番1000日計画」。それこそが師弟の、「素振りの日々」だった。東京ドームで、長嶋監督の自宅の地下室で、遠征先の監督の宿舎で、マンツーマンの素振りは続けられた〉
監督が持つバットのヘッドをボールに見立て本当に打つ感じで振るんです。監督はその瞬間にバットを引く。誰でもバットを振れば音はするんですが、短くて高い音がいいんです。音が割れてもいけない。高くてピュッという音でなければいけない。鋭く空気を一瞬で切る感じでピュッと振りぬけると、監督から「よし」と声がかかる。長嶋さんにしか分からないですよ。僕は監督が「いい」「悪い」と言ってくれるから分かるようになりましたけど、それでも分かるまでに1年、2年とかかりました。
自分でもある程度は判断できるようにはなりましたが、監督がいるのといないのとでは、気持ちの入りようが違う。自分一人でその集中力と緊迫感を出すのって難しいんです。
〈「ピュッ」というときの松井の声が高い。おそらく、長嶋監督の声も高かったのだろう。右利きの松井が「不器用」という左打ちのスイングは、長嶋監督との素振りで一つずつ積み上げたものだ。だからこそ揺るぎないスイングを固めることができたのだろう。素振りは松井が4番に定着しても、監督が勇退しても、巨人最終の02年に50本塁打を放っても続けられた〉
ニューヨークでも、監督の滞在中には毎回やりましたよ。ホテルにバットを持ち込んで。携帯を床に置いて、国際電話を聞いてもらいながらバットを振ったこともあります。やったという行為は事実ですが、これはどこまで本当に聞こえていたのか、少し疑問ですよね。時差もありますし。
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